寛政の改革時の岩本正倫により本格化した「炭」の生産については前回紹介しました。
これと同じ時期に産後の白牛母子を江戸に移送して「白牛酪」という薬を製造販売して財政活動を開始しています。今回はその移送ルートを船橋西図書館所蔵の岩本正倫の嶺岡紀行と青木更吉氏の「嶺岡牧を歩く」を参照にたどってみます。
ここから当時の里山と都市部の関係も見えてきます。
かつて、日本は恵まれた自然環境の中で「里山」に寄り添って生きてきました。
その後、膨大な資源を浪費する時代になると、「里山」から人は遠ざかっていきます。
それが自然災害やパンディミックの常態化の時代に入ると、自然と共生する「里山」が見直されています。
江戸時代のこの地と江戸を結ぶ街道は「房州往還」と呼ばれていました。
人の足で、3泊4日・牛の旅は5泊6日でした。
それが短時間で都市部と結ばれ、情報は瞬時に得る事できる時代に入っています。
この地だから発信できるものがありそうです。